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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)8329号 判決 1984年5月15日

原告

山本房男

右訴訟代理人弁護士

鳥越溥

山嵜進

被告

江戸千恵子

右訴訟代理人弁護士

菅原光夫

右訴訟復代理人弁護士

飯野信昭

主文

被告は原告に対し金八〇〇万円及びこれに対する昭和五六年三月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その二を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

(昭五九・五・一六東京地裁更正決定追加、編注)

事実

第一当事者の求める裁判

(請求の趣旨)

一  被告は原告に対し金一二〇〇万円及びこれに対する昭和五六年三月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言。

(請求の趣旨に対する答弁)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  被告の父である訴外亡江戸竹司は、昭和二五年一一月二一日に東京都知事の許可を受けて、以後「尾邦支店」の名称で東京都中央卸売市場内で生鮮水産物の仲卸業を営んできたが、昭和四二年、同訴外人が死亡したため同人の妻である訴外亡江戸うめが右業務を承継し、昭和五五年一二月二日、訴外亡江戸うめが死亡したため同訴外人の長女である被告が更に右業務を承継した。

二  原告は、昭和二七年頃、右訴外亡江戸竹司に雇用されて「尾邦支店」の業務に従事するようになり、昭和四二年に訴外亡江戸竹司が死亡した以降は、訴外亡江戸うめを助けて、中央卸売市場でのセリ、店頭客への販売、売掛金の回収、会計、経理等すべての業務をとりしきり、事実上「尾邦支店」の経営一切を運営してきた。

三  被告は、「尾邦支店」の業務を承継して間もない昭和五六年二月頃、右業務にかかる営業を他に有償で譲渡し、原告はこれにより「尾邦支店」を退職した。

四  原告は被告に対し、次のいずれかの事由により、退職金請求権を有している。

(一) 訴外亡江戸うめは、生前、原告に対し、営業を他に譲渡して「尾邦支店」を整理するような場合には一五〇〇万円から二〇〇〇万円の退職金を原告に支払うことを約束していた。したがって、原告は少なくとも一二〇〇万円の退職金の支払を被告に請求しうるものである。

(二) 被告は、「尾邦支店」の整理に際し、原告を含む従業員四名の退職金として総額一五〇〇万円の税務申告をなし、更に、原告を除く三名の従業員の退職金額を合計三〇〇万円と決定している。したがって、これにより被告は原告の退職金額が一二〇〇万円であることを承諾したものであり、原告は被告に対し一二〇〇万円の退職金の支払を請求しうるものである。

(三) 原告が被告に対して退職金請求権を有していることは、原告とほぼ同じ頃に退職した他の三名の従業員に対して被告が退職金を支払っていること、被告から委任を受けた訴外川島開司ないし右川島から委任を受けた訴外秋山弘と原告との間で退職金額を決めるための交渉が数回もたれていることから明らかである。そして、仮に原告と被告間において一二〇〇万円の退職金額の合意があったことが認められないとしても、原告と訴外川島開司間の右交渉の過程において、同訴外人は「退職金額八〇〇万円」の提示をなしており、原告はこの時八〇〇万円を不服として承諾はしなかったが、被告は一旦八〇〇万円の提案をなした以上、原告がこれで我慢する限り右金額を退職金として支払う義務がある。よって、原告は被告に対し退職金八〇〇万円の支払を請求する権利を有する。

五  仮に、原告の一二〇〇万円の退職金請求権が認められないとしても、原告は永年にわたり名義上の事業主にかわって営業を維持してきたものであり、このような店を守りとおした者には、その営業が有償譲渡された場合に少なくとも譲渡価額の二割に相当する額の報酬が支払われることが東京都中央卸売市場内の慣行であるところ、本件における営業の譲渡代金は八五〇〇万円であるから、原告は被告に対し、少なくとも一二〇〇万円の報酬請求権を有する。

六  仮に、以上が認められないとしても、退職金は、退職金規定及び約定がない場合、退職者の業績、勤務年数、給料、職種等と経営者の経営内容により当事者の話し合いによって決定されるべきことがらであり、被告は原告との間で退職金額について誠意をもって交渉をなし、退職金を支払う義務があるのに、本訴提起前の原告の交渉申し入れを無視し原告の要求に全く応じないので、原告は被告に対し、退職金額を協議決定のうえで退職金を支払うべき債務の不履行責任を追求し、これにもとづく退職金相当の損害金を請求しうるものである。

よって、原告は被告に対し、退職金あるいは損害金として金一二〇〇万円及びこれに対する弁済期後である昭和五六年三月一日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因第一項記載の事実は認める。但し、訴外亡江戸竹司は、「尾邦本店」の名称で同所で同業を営む訴外三浦浜七の雇用人であり、「尾邦支店」は昭和四二年までは右「尾邦本店」に所属して営業を行なってきたものである。

二  請求原因第二項記載の事実のうち、原告が、昭和二七年頃、訴外亡江戸竹司に雇用されて「尾邦支店」の業務に従事するようになった、との点は否認し、その余の事実は認める。原告は、昭和二七年頃から昭和四二年に訴外亡江戸竹司が死亡するまでの間は、訴外三浦浜七に雇用されて同訴外人の営む「尾邦本店」の業務に従事していたものであり、「尾邦支店」の業務には昭和四二年に訴外亡江戸うめに雇用されて以降従事するようになったものである。

三  請求原因第三項記載の事実は認める。

四  同第四項記載の事実のうち、(二)記載の退職金として総額一五〇〇万円の税務申告がなされていること及び原告を除く三名の従業員の退職金額を合計三〇〇万円と決定したこと、(三)記載の訴外川島開司及び訴外秋山弘と原告との間で退職金額を決めるための交渉が数回もたれたことはいずれも認め、その余の事実は否認する。なお、右税務申告は原告が被告の了解なく勝手に退職金額を記載してなしたものであり、また、訴外川島開司及び訴外秋山弘に対しては退職金額の取決めの代理権を与えたことはなく、同人らは退職金の取決めにつき仲介をしたまでである。

五  請求原因第五項、第六項記載の事実はいずれも否認する。

第三証拠(略)

理由

一  被告の父である訴外亡江戸竹司が、昭和二五年一一月二一日に東京都知事の許可を受けて、以後「尾邦支店」の名称で東京都中央卸売市場内で生鮮水産物の仲卸業を営んできたこと、昭和四二年、同訴外人が死亡したため同人の妻である訴外亡江戸うめが右業務を承継したこと、そして、昭和五五年一二月二日、訴外亡江戸うめが死亡したため同訴外人の長女である被告が更に右業務を承継したことについては当事者間に争いがなく、また、原告が当初誰に雇用されていたかについては当事者間に争いがあるものの、昭和四二年に訴外亡江戸竹司が死亡して以降は、「尾邦支店」の従業員として、中央卸売市場でのセリ、店頭客への販売、売掛金の回収、会計、経理等すべての業務をとりしきり、事実上「尾邦支店」の経営一切を運営してきたこと、しかるに、被告は、「尾邦支店」の業務を承継して間もない昭和五六年二月頃、右業務にかかる営業を他に有償で譲渡し、原告はこれにより「尾邦支店」を退職するに至ったことについても当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない(書証・人証略)によれば、右訴外亡江戸竹司は、もと訴外三浦浜七に雇用され、訴外三浦浜七が東京都中央卸売市場内で経営する「尾邦本店」なる名称の仲卸業に従事していたが、昭和二五年に前記の仲卸業の営業についての東京都知事の許可を受けて以降は「尾邦支店」の営業主として仲卸業を営むようになったこと、原告は、昭和二七年頃、訴外亡江戸竹司に雇用され、以後「尾邦支店」の業務に従事してきたものであること、訴外亡江戸竹司の死亡後、その相続人として「尾邦支店」の業務を承継した訴外亡江戸うめは、その営業を他に譲渡することなく自らが事業主として継続することを希望し、原告に対し以後経営の一切を任せるから引き続き「尾邦支店」の業務に従事して欲しい旨を懇願し、原告もこれを了承したため、訴外亡江戸竹司と原告間の雇用関係はそのまま訴外亡江戸うめに引き継がれたこと、その後昭和五五年一二月二日に訴外亡江戸うめが死亡し、同訴外人の相続人として「尾邦支店」の業務を承継した被告は、営業を従前どおりに継続したいとする原告の意図に反し、昭和五六年二月頃、「尾邦支店」の営業を「大力商店」の名称で仲卸業を営む者に八五〇〇万円で売却したこと、右売却に際して被告と「大力商店」間で原告の雇用を承継する話し合いは特になく、したがって、原告と訴外亡江戸うめとの雇用関係は被告に承継された後右売却によって終了するに至ったことが認められ、以上の認定を覆すに足りる証拠はない。なお、(書証・人証略)によれば、東京都中央卸売市場の仲卸業者らの一部で組織する大口卸協同組合に保管されている原告の履歴書には原告が昭和二七年四月一日に「尾邦本店」に入店した旨の記載が存することが認められるが、(人証略)によれば、東京都中央卸売市場においては、昭和二七年当時、複数の仲卸業者がひとつの店舗を共同で使用してそれぞれの業務を行なうことも許容されており、「尾邦支店」も「尾邦本店」、「大与」と店舗を共同で使用して業務を行なっていたこと、店舗には「尾邦本店」「尾邦支店」「大与」の三枚の看板が掲げられてはいたが、「尾邦本店」がその筆頭格であったことが認められ、このような事情からすれば、右「尾邦本店に入店」なる記載が必ずしも当時の原告の雇用関係を正確に表示したものと認めることはできず、この一事をもって、原告が訴外亡江戸竹司に雇用されたものである旨の前記認定を覆すことは相当でない。また、(人証略)によれば、原告は、現在、「尾邦支店」の営業の売却先である「大力商店」に勤務していることが認められるが、原告と被告間の従前の雇用関係が「大力商店」に引き継がれたことを認めるべき証拠は存在せず、したがって、右事実は、被告に承継された原告の雇用関係が「尾邦支店」の営業の売却によって終了した旨の前認定を左右するものではない。

二  そこで、退職金請求の点につき、まず検討する。

訴外亡江戸うめが、生前、原告に対し退職金を支払う旨を約束した事実は、これを認める証拠がない。また、被告自身が原告に対して一二〇〇万円の退職金を支払うことを承諾したとの原告の主張についても、これを認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、(人証略)によれば、被告は、「尾邦支店」の営業の売却及び当時「尾邦支店」に勤務していた原告他三名の従業員の退職の交渉について、訴外亡江戸うめと親しかった東京魚市場卸協同組合の理事である訴外川島開司に一任していたこと、訴外川島開司は、営業の譲渡先と売却条件の交渉をしてこれをとり決めたほか、従業員に支払う退職金額については右協同組合の職員である訴外秋山弘を補助者として各従業員との折衝にあたらせたこと、その結果、原告を除く三名の従業員との間では、各人の勤務年数を考慮して、それぞれ一三〇万円、九〇万円、八〇万円とすることで合意が成立し、被告も同金額を了承してこれら各金員は右各人に既に支払済であること、原告に対する退職金については、訴外川島開司は、当初、訴外秋山弘を介して六〇〇万円の額を呈示したが、原告は一二〇〇万円を要求してその呈示額に応じず、その後、訴外川島開司は、被告も同席する場において、原告に対し八〇〇万円の呈示をなしたが、やはり原告がその額に同意しなかったため、「これで駄目ならこの話はなしだ」と発言して、訴外川島開司は原告との退職金額を決める交渉の任を辞してしまったこと、その後、原告の退職金額をとり決める交渉は原告、被告間にもたれず、原告の本訴提起に至ったことが認められ、これら認定を左右するに足りる証拠は存しない。以上の事実によれば、原告、被告間においては、具体的退職金額を合意によって決定するまでには至らなかったものの、少なくとも、原告の退職に際して原告に対し相当金額の退職金を支払う旨の合意が既に成立していたものと認めるのが相当であると思料する。そして、右「相当金額」については、原告、被告間には退職金に関する就業規則等の規定もなく、また、基準となるような従前の事例の集積もなく、一方、いずれも成立に争いのない(書証略)によっても確立された東京都中央卸売市場での退職金額の基準の慣行も認められず、その金額を確定しうるところではないが、前認定の、被告から退職金額の交渉を一任されていた訴外川島開司が、その後これを撤回したとはいえ、原告の退職金額として八〇〇万円を呈示した事実からすれば、その支払義務者である被告が右「相当金額」として八〇〇万円までは了承したものと解するのが相当であり、このことと、前認定の諸般の事情を合わせ考慮すれば、右「相当金額」は八〇〇万円を下回るものではないと認めることができ、一方、このような認定の障害となるべき事情は証拠によってはみあたらない。

よって、原告は被告に対し、金八〇〇万円の退職金請求権を有するものと認めることができる。

三  次に、報酬請求権の点につき判断する。

原告は、東京都中央卸売市場内には、営業が有償で譲渡された場合、営業をそれまで永年にわたり事業主にかわって維持してきた者に対して譲渡価額の二割に相当する額の報酬を支払う慣行が存在する旨主張するが、同主張に添う事実は証拠によってみあたらない。

よって、こつ点に関する原告の主張は理由がない。

四  原告は、また、退職金相当の損害金を請求するが、前示のとおり、原告に対する相当金額の退職金として八〇〇万円の請求が認容される以上、原告の右請求は理由がないものと思料する。

五  以上によれば、原告の本件請求は退職金八〇〇万円及び原告の退職後である昭和五六年三月一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を請求する限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉本正樹)

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